大判例

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札幌高等裁判所 昭和46年(う)241号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中被告人武者勉、同工藤慶一については各参拾日を、被告人岡崎英一については参拾五日を、それぞれ原判決の本刑に算入する。

理由

本件各控訴の趣旨は、弁護人高野国雄、同入江五郎、被告人ら三名および控訴取下前の共同被告人杉戸孝連名提出の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する検察官の答弁は、札幌高等検察庁検察官検事近藤康提出の答弁書に記載されたとおりであるから、いずれもここにこれを引用し、右控訴趣意に対し、つぎのように判断する。

控訴趣意中〔原判決に対する総論的批判〕について。

論旨は、原判決中の「犯行にいたる経過」の部分および「量刑の事情」の部分における原判決の判断を、種々論難するものであるが、論旨多岐にわたるので、適宜これを整理、要約して判断を示すこととする。

一論旨中、原判決は極めてイデオロギー的な、一方的な偏見によつて事実をゆがめている、との点について。

よつて審案するのに、原判決が「過激行動」、「過激政治行動」、「過激派学生」などという用語を用いていることは、所論のとおりであるが、これらの用語が原判決がなされる昭和四六年には既に一般に用いられていたこと所論も指摘するとおりなのであるから、「過激派」という用語が歴史的には、ロシア革命を準備したボルシエヴイキ派に対してわが国の反動的な新聞雑誌が用いた非難語であつたとしても、これらの用語が右翼思想用語で、これを用いた原裁判所の姿勢がイデオロギー的にかたよつたものであるとはいえないこと、もちろんである。また、原判決が学内における代々木系勢力と反代々木系勢力との派閥抗争ということを再三にわたつて述べていることも所論のとおりであるが、原判決は右の派閥抗争を、北大クラス反戦連合と称する学生らによつてなされた入学式妨害、およびこれに対する堀内学長の所信表明を契機として発生したいわゆる北大紛争を複雑化させ、長期化させた一要素としてとらえているものであつて、所論の如く大学当局、政府当局の責任、およびこれを追及した被告人らを含む学生集団の行為の正当性についての判断を回避するため、ことさら焦点をずらし、大学当局対学生総体という問題を学生間の派閥抗争という問題として取り上げたものでないことは、原判決の判示自体から明らかである。さらに所論は、原裁判所が不当に被告人側申請の証人を著しく制限し、または検察官側証人に対する反対尋問権の行使を著しく制限したとし、それが原裁判所の偏見の証左であるというが、原裁判所が所論の如き不当な訴訟指揮をしたと認め難いことは後述するとおりであるから、所論は前提を欠くといわねばならない。その他記録を検討しても、原判決が所論の如くイデオロギー的な、一方的な偏見に基づくものであるとは、とうてい認められない。論旨は理由がない。

二論旨中、原裁判所が不当に被告人側申請の証人を著しく制限し、または検察官側証人に対する反対尋問権の行使を著しく制限した、との点について。

よつて検討するのに、記録によれば原審において弁護人は総勢八四名におよぶ証人を申請し、うち一八名が採用されている。右一八名中には被告人らの父兄で完全な意味での情状証人が四名含まれているから、事実関係については一四名採用されたにとどまつていて、申請証人のうち相当数が却下されていることは所論のとおりである。しかしながら取り調べた右一四名中には、当時の北大学長堀内寿郎、北大教授・評議員・学長顧問団メンバー・教養部長小関隆楳、北大教授・評議員・学長顧問団メンバー今村成和らがいるから、弁護人や被告人らが被告人らの主張を掲げて当時の北大当局側の見解や措置を十分追及することができたであろうし、本件は、原判決もいうとおりいわゆる北大紛争そのものを審理の対象としているものではないから、本件犯罪の背景、すなわち学園紛争の経過は、被告人らの行為につき違法性阻却事由の有無の判断のため、および量刑事情として必要な限度において調べれば足りるもので、かかる観点からすれば、原裁判所が右の一四名を採用して取り調べたことは、単に原判決のいうように、学園紛争の経過などにつき「最少限度」の証拠調べを行つたにすぎないものではなく、むしろ「必要にして十分な」証拠調を行つたものといえるのであつて、原裁判所が被告人側申請の証人を八四名中一八名しか採用しなかつたからといつて、不当な措置であるとは、とうていいえない。また、記録を検討しても、原裁判所が検察官側申請の証人に対する弁護人、被告人らの反対尋問権の行使を不当に制限した点も認め難い。論旨は理由がない。

三〜六〈略〉

控訴趣意中〔原判決に対する各論的批判〕の第一点訴訟手続の法令違反の主張について。

一まず論旨は、原判決は、原審弁護人が原審公判廷において、被告人らには、原判決判示第二の二の不退去罪につき超法規的違法性阻却事由があり、かつ期待可能性がなく、同判示第二の三の公務執行妨害罪につき正当防衛が成立する旨主張したのに、右主張につきなんら判断を示していないから、刑事訴訟法三三五条二項に違反しており、判決に影響をおよぼすべき訴訟手続の法令違反をおかしている、というのである。

よつて審案するのに、一件記録によれば、原審弁護人らが原審公判廷、ことに冒頭陳述や最終弁論において、所論の如き主張をしていることは明らかであるが、これに対し、原判決は「(弁護人の主張について)」の(五)において、「なお入江弁護人は、以上のほかにも種々の事由を主張して本件各犯行の成否を争う。例えば」として、以下に警察職員の各種令状執行の非有効性、学長の退去要求の不当性、これに従わない学生らの正当性、ならびに退去を期待できないような事情の存在等を掲げて弁護人の主張を要約したうえ、「しかし本件で取調べた各証拠などに照らし、それらの主張はすべて理由がなく、採用することができない」と判示している。たしかに、この種の事案に則して考えれば、原判決の右の如き判示の仕方は、概括的、抽象的にすぎる憾みがなくもないが、そもそも刑事訴訟法三三五条二項の判断を示す際には、弁護人の主張も「その趣旨を要約して記述するをもつて足り」(大審院昭和七年六月一六日判決、刑集一一巻八六六頁)、これに対する判断も、右主張採否の結論を明らかにすれば足り、採否の理由までも説明する必要はなく(大審院昭和一〇年一〇月二九日判決、法律新聞三九三六号八頁)、さらには、「弁護人の主張事実を掲げてこれに対し直接的に判断を示す方法をとることを要するものではなく、弁護人の主張する事実に関し却つて反対の事実を認定して間接的に主張否認の判断を示す方法をとることも差支えがない」(最高裁判所昭和二四年九月一日判決、刑集三巻一五二九頁)のであるから、前記の如き原判決の判示方法をとらえて、判断を示していないとか、適法でないとかというべきものではない。それゆえ、原判決には所論の如き訴訟手続の法令違反はない。論旨は理由がない。

しかしながら、当裁判所は、本件事案にかんがみ所論指摘の諸点につき、以下に当裁判所の見解を開陳する。

1堀内学長の本件退却要求の適法性について。

所論は、大学学長の大学建物に対する管理権は、本来大学を学外勢力から守るためにのみ行使されるべきであつて、大学内部の意見の対立を解消したり、学内秩序を維持したりするために行使されるべきものではないし、学生は大学の建物に滞留する権利を有しているのであるから、堀内学長の本件退去要求は管理権の濫用であつて無効である、というのである。

しかしながら、学長の管理権が所論の如く大学を学外勢力から守るためにのみ行使さるべきであるとすべき特段の法理はなく、また、学長室や大学事務局の事務室等があつて北海道大学の管理機構の中枢である本館建物を、職員を追い出し出入口にバリケードを作るなどして封鎖占拠するなどという行為は、それが正当な目的をもつものであり、かつその権限があるものではない限り、とうてい現行法秩序の許容しうるところではなく、右占拠者が同大学の学生であるからといつて、これを不法占拠者といいえないものでないことはもとより当然であるから、かかる者に対し、学長がその管理権に基づき退去を要求することは、なんら権利の濫用ではない。堀内学長のなした本件退去請求は、適法かつ有効である。

2不退去についての超法規的違法性阻却事由、期待可能性について。

前記のように封鎖した本館建物内にとじこもり、原判示のとおり堀内学長が吉田事務局長を通じて再三にわたり退去するよう要求したのに、これに応じようともしない被告人らの行為が、その主張する目的に出でたことであれ、社会的に相当な行為であるとは、とうてい評価することはできず、被告人らに超法規的違法性阻却事由があるとはいえないし、また、何千という武装警官が待機していて、もし建物から出ればなんらかの罪で直ちに逮捕されることが予想される状況であつたからといつて、それだけで被告人らに建物からの退去を期待するのが無理であつたとするわけにはいかない。期待可能性がなかつたとする主張も採用できない。

3警察職員の職務執行の適法性について。

原判決も認定するとおり、警察官らは、前述のとおり不法に封鎖、占拠されている本館建物を堀内学長の要請に基づき解放し、あわせて、きさに発生した国際反戦デー統一行動に伴なう兇器準備集合、公務執行妨害被疑事件の捜査として、裁判官の発した令状に基づき右建物内における捜索、差押、検証等を行なうため出動してきたものであるから、右警察官らの職務執行が適法であることは、いうをまたないところである。原審弁護人は、右に関して裁判官が発した令状を、検察官が証拠として申請しなかつたことをとらえて右職務執行の適法性を否定するが、右指摘の点はなんら右適法性認定の妨げとなるものではない。

4正当防衛の成否について。

右のとおり本件における警察官の職務執行行為が適法である以上、これを妨害する被告人らの行為を目して正当防衛行為とすることができないことは明白である。

二つぎに論旨は、原判決は、証拠として証人八代宏の証言を挙示しているが、同証言中松岡達郎の供述を内容とする部分(以下「松岡供述」という)は、証拠能力を有しない、すなわち、(イ)伝聞禁止の例外を定めた刑事訴訟法三二一条一項三号は、被告人に対し、すべての証人に対する反対尋問権を保障した憲法三七条二項に違反し無効であるから、右三二一条一項三号により松岡供述に証拠能力を認めることは許されない、(ロ)仮に右三二一条一項三号を合憲とみるとしても、同条同項は憲法の趣旨に則り厳格に解釈して、「死亡、精神若しくは身体の故障」等の事由は制限列挙とみるべきであつて、原判決の如くこれを証人の宣誓拒否の場合にまで拡張して解釈することは誤りである、(ハ)右条文によつて伝聞供述に証拠能力が付与されるには、右供述が特に信用すべき情況の下になされたものであることを要するところ、松岡供述には右の特信性が認められない、それゆえ、以上いずれの理由からみても松岡供述には証拠能力がないから、原判決には、証拠能力のない証拠を採証の用に供した違法があり、その違法が判決に影響をおよぼすことが明らかである、というのである。

よつて審案するのに、(イ)刑事訴訟法三二一条一項三号の規定が憲法三七条二項に違反するものでないことは、右三二一条一項二号に関する最高裁判所のるい次の判例(昭和二四年五月一八日判決・刑集三巻六号七八九頁、昭和二七年四月九日判決・刑集六巻四号五八四頁、昭和三〇年一一月二九日判決・刑集九巻一二号二五二四頁)の趣旨に照らしておのずから明らかであり、(ロ)右三二一条一項三号の規定に供述者が供述することができないときとしてその事由を掲記しているのは、その供述者を裁判所において証人として尋問することを妨ぐべき障害事由を示したものであるから、これと同様またはそれ以上の事由の存する場合において同条所定の書面に証拠能力を認めることはなんら妨げなく、証人が証言を拒否する場合には、かかる事由があるとして同人の供述録取書面を証拠とすることができることも、右各判例の示すとおりである。(ハ)ところで本件の松岡供述に証拠能力を認めるためには、同供述が特に信用すべき情況の下になされたものであることを要することは所論のとおりであるが、原判決が一六枚目裏一二行目から一八枚目裏末行にかけて詳細認定、判示し、記録にてらし当裁判所もこれを正当として是認しうるところの、八代検事の松岡に対する取調状況、松岡が自供するに至つた経緯、その内容、ならびにこれが他の証拠と格別矛盾しないのみか、かえつてそれらを合理的に説明づける役割りをも果たしていること等の諸事実によれば、松岡が供述調書に対する署名指印を拒否したことを十分考慮に入れても、松岡供述は、特に信用すべき状況の下になされたものと認めることができ、刑事訴訟法三二四条二項、三二一条一項三号によりこれを証拠とすることになんらの妨げもないといわねばならない。それゆえ、原判決には所論の如き訴訟手続の法令違反はない。論旨は理由がない。

三さらに論旨は、原判決が事実認定の用に供したビデオテープ四巻(原審昭和四五年押第五九号の四一、四二)は、放送事業者であるNHKおよびHBCがそれぞれ本件現場で独自に取材し一般に放映したものを、警察当局が無断でビデオテープレコーダーにより録画したものであるところ、かかるテレビ録画を犯罪立証の用に供することを許せば、将来報道機関の取材活動に支障をおよぼし、ひいて国民の知る権利をも害することとなるから、かかるテレビ録画には証拠能力がないと解すべきであり、原判決には証拠能力のない証拠を採証の用に供した違法ある、というのである。

よつて審案するのに、本件ビデオテープが、所論のとおりNHKおよびHBCが独自に取材し放映したものを警察当局が無断でビデオテープレコーダーにより録画したものであることは明らかであるところ、いわゆる報道のための取材の自由も、憲法二一条の精神に照らし、十分尊重されねばならないことはもちろんであるが、取材の自由といつても、もとよりなんらの制約を受けないものではなく、公正な裁判の実現という憲法上の要請があるときは、ある程度の制約を受けることのあることは、やむをえないところであつて、本件如きビデオテープを証拠として使用することが許容されるか否かは、審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽量、ならびにビデオテープの証拠としての価値等を考慮するとともに、これによつて報道機関の取材の自由が妨げられる程度、これが報道の自由におよぼす影響の度合その他諸般の事情を比較衡量して決せらるべきである(最高裁判所昭和四四年一一月二六日決定、刑集二三巻一一号一四九〇頁参照)。本件の場合、被告人らが行なつたとされる現住建造物放火の点は、被告人らが警察官らの現在する北大本館建物に火を放ち、その一部を焼燬したという重大な犯罪であるところ、右建物より火災が発生し、その一部が燃燬されたという外形的事実に関する証拠は多数存在するが、これが被告人らの共謀による放火行為によるものか否かの点については、当時被告人らが主として、三階建である右建物の屋上で行動していた関係上、同人らの行動を終始目撃していた者はいず、捜査機関がヘリコプターに乗り空から撮影したフィルムも明瞭さを欠いているが、報道機関が撮影し放映したものを録画した本件ビデオテープは、被告人らの行動を比較的明瞭に写し出しているので、これを証拠として利用することの価値は、相当に高いということができる。他面、本件ビデオテープは、前述したとおり報道機関が放映したものを録画したものにすぎず、これを証拠として利用されることにより報道機関の受ける不利益は、将来の取材活動が場合によつては妨げられるおそれがある、というにとどまるのであるから、報道機関としても、公正な裁判の実現のため、かかる程度の不利益は受忍しなければならないものと解するのが相当である。それゆえ、本件ビデオテープを証拠として利用することは違法ではなく、原判決には所論の如き訴訟手続の法令違反はない。論旨は理由がない。

同第二点の一原判示第二の四の現住建造物放火についての事実誤認、理由不備、訴訟手続の法令違反の主張について。

一まず論旨は、原判決は、被告人ら(原審相被告人杉戸孝を含む。以下同じ。なお、以下において松岡達郎をも含むときは「被告人ら五名」という)が松岡達郎と共謀のうえ、本館の二階から三階に通ずる東西両階段のバリケードに多数の火炎びんを投げつけるなどしてこれに放火して燃え上らせた旨認定し、右認定の根拠となる事実(以下「根拠事実」という)として、原判決一二枚目表五行目から一四枚目裏末行までの間において1ないし4として種々の事実を認定しているが、右根拠事実のうち、(イ)本館の火災は、機動隊が本館一階内に突入した直後に、三階の東西両階段付近からほとんど同時くらいに出火したとの点、(ロ)出火の際両階段付近の窓からおびただしい量の黒煙が噴出したとの点、(ハ)右両階段付近に電気その他火気の原因が存在した形跡はないとの点、(ニ)右両階段のバリケードの角材やロッカー内書類の燃焼状況、右両階段とその周辺の天井壁、階段付近の各部屋のドアー枠、二階西側階段付近の部屋の壁、天井などの燃焼状況などに照らすと、本館の火炎は、被告人ら五名全員またはそのうちの何名かが三階両階段のバリケードの角材などに対して多数の火炎びんを投てきするか、あるいはガソリンその他を撤布するなどの方法で放火したものとみるべき可能性がもつとも高いと考えられるとの点、(ホ)警察官が本館一階で同階西側階段のバリケードの撤去作業に着手し始めて間もなく、三階階段方向から相当数の火炎びんが落下する音がきこえ、そのうちの数本が階段手すりの間から一階床に落下して火を発したが、その際手すりの間隙から上の方をみると、一面火の海といつたような状況にあつたとの点、(ヘ)機動隊が一階内に突入した直後で本館出火の直前、被告人ら五名がほぼ一斉に屋上から外部に対する攻撃をやめ、一階に進入した機動隊への攻撃に転じたと思われる行動に出ているとの点、(ト)出火後五名揃つて屋上に現われたとの点は、いずれも事実誤認である。すなわち、(イ)の点についてみれば、本館の出火は午前一一時ころで、その四〇分以上前の午前一〇時一〇分か一五分ころ機動隊員約一七名が本館北側一階便所の窓から本館内に入つているから、機動隊が突入した直後に出火した旨の認定は、明らかに誤認であり、(ロ)の点は、東側階段付近からは多量の黒煙は噴出されていないし、(ハ)の点は、当時本館の電気の配線が切断されていたという証拠がないから、漏電の可能性があり、また、衝撃によつて発火する装置の火炎びんがあり、これが放水やバリケード撤去作業の衝撃で倒れたりころがつたりして発火する可能性もあり、原判示の如く火気の原因が存在した形跡がないとはいえず、(ニ)の点は、元来出火場所に関係なく燃え易い物のあるところがもつとも燃焼する筈であるのに、燃焼状態がもつとも進んだ個所を出火場所と推定する誤りをおかしており、また、バリケードや建物内部の燃焼状態から、火災の原因がバリケードに対する火炎びんの投てきかガソリンの撤布による放火とみるのは飛躍であり、(ホ)の点は、これにそう証拠がないか、あつても信用できないものであり、(ヘ)の点は、前述のとおり機動隊が本館一階に突入した時から本館出火の時まで四〇分以上もあるうえ、出火直前ころ屋上に人間がいたことを直接間接に窺わせる写真が何枚か存在するし、(ト)の点は、これを認めるに足りる証拠は全くない。また、原判決は根拠事実として、(チ)三階廊下、その付近には多数の火炎びんやガソリン、アルコール、ベンゼンなどと表示した薬品びんや石油かんなどが置かれていたこと、(リ)被告人ら五名は、警察の本館封鎖解除を妨害する目的で本館に立てこもり、長時間にわたり協力して機動隊の本館進入を阻止する行為に出ていることを挙げているが、これらの事実を直ちに被告人らの放火行為に結びつけるのは不当であり、また、原判決は、(ヌ)証人八代宏の証言中の松岡供述部分を基に若干の根拠事実を認定しているが、松岡供述には不明な部分、具体性を欠く部分が多く信用できないうえ、同供述によつても被告人らに放火の故意があつたことを認めることはできないし、さらに原判決は、(ル)被告人、弁護人らが反証を提出しなかつたことを事実認定の資料としているが、これは、刑事裁判における挙証責任分配の原則に違反し、また、正当な黙秘権の行使に不利益を課す点において憲法三八条、刑事訴訟法三一一条に違反するものである。以上要するに、原判決は、前記(イ)ないし(ト)のように根拠事実を誤認し、(チ)ないし(ル)のように、本来根拠事実とすべきでないものを根拠事実とした結果、誤つて被告人ら五名が共謀のうえ本件放火をしたものと認定したもので、判決に影響をおよぼすべき事実誤認をおかしているし、前記(ル)の点では判決に影響をおよぼすべき訴訟手続の法令違反がある、というのである。

よつて審案するのに、当裁判所は、原判決挙示の対応証拠を総合考察すると、原判決がその一二枚目表表五行目以下に説示するところは、所論指摘のとおり疑問とすべき点がなくはないが、全体的にはこれを肯認するに足り、したがつて、原判決の罪となるべき事実の認定自体は、正当として肯認することができると判断する。すなわち、

1  所論の(イ)の点について。

まず機動隊員が本館一階に突入した時刻についてみるのに、証人氏家信義の原審公判廷における供述によると、午前一〇時一五分か二〇分ごろには、既に警視庁派遣の機動隊員二名ぐらいが本館一階に入つていたことが認められるが、微々たる人数であるからこれを考慮の外において考えると、同供述、証人小松隆、同山田秀雄、同青山秀一、同山岸巌、同畑山英俊の各原審公判廷における供述、原判決挙示の各現場写真報告書添付の写真(ただし、原判決指摘の除外部分を除く)、原審昭和四五年押第五九号の三八のビデオテープ(ただし、録音中の解説部分を除く)等を総合すると、機動連隊警ら中隊所属の角田警部補以下約一四名が午前一〇時二五分ごろから本館裏側(北側)便所の窓から一階に突入し、同中隊の山田警部補ら数名が一〇時三五分ごろ建物正面(南側)の西側窓から一階に窒入し、さらに、いわゆる「鳥籠」を利用して建物正面西側窓から突入をはかつた同機動連隊連隊長岸警視、同連隊機動中隊隊員ら約一五名が建物にとりついて逐次窓から一階に進入して行つたのが一〇時四五分分ごろから一一時ごろまでであると認められるから、結局機動隊員が一階に突入した時刻は、午前一〇時二五分ごろから一一時ごろまでであるということができる。他面右各供述、現場写真、ビデオテープ等を総合すると、一階に突入した機動隊員が廊下や西側階段付近のバリケード撤去作業に取りかかつて間もない一一時すぎごろには三階西側階段付近の窓から外部に黒煙が出始め、間もなく三階東側階段付近の窓からも黒煙が出始めたことが認められるから、以上によれば、原判決が、機動隊が本館一階に突入した直後に、三階の東西両階段付近からほとんど同時ぐらいに出火した旨認定したことは、なんら誤りではない。

2〜8〈略〉

9 所論の(ル)の点について。

よつて案ずるのに、原判決は、「被告人らの共謀に基づく放火によるととの証拠はない」旨の弁護人の主張に対し、原判決一二枚目表四行目から一四枚目裏末行までにおいて、証拠によれば次の諸事実が認められるとして1ないし4の諸事実を摘示したうえ、「その他、被告人、弁護人らから、以上の諸点について何んの反証も提出されておらず、これらの各事実その他本件各証拠に現われた一切の情況に照らすと、被告人らと松岡の五名全員の共同意思に基づいて三階両階段のバリケードに対し火炎びんを投擲するなどの方法によつて放火したと認定するに十分である」と説示しているが、右説示中の「被告人、弁護人らから、以上の諸点について何んの反証も提出されておらず」との部分は、単に「以上の諸点についてはなんの反証もない」旨を述べているにすぎず、反証を提出しないという被告人らの消極的行為ないし態度そのものを積極的に総合認定の資料とした趣旨とは認め難いから、右の説示部分をとらえて、所論の如く挙証責任分配の原則に反するとか、黙秘権を認めた憲法三八条、刑訴三一一条に違反するとなすのは当らない。もつとも、本件の場合において原裁判所が、心証形成に際し、反証を提出しないという被告人、弁護人らの消極的行為ないし態度になんら影響されていないとは断定できないが、本件のように、本館に立てこもつた被告人五名が共謀してこれに放火したものではないかと事実上推定させる証拠が、検察官から数多く提出されており、しかも、建物内における被告人らの行動は弁護人の被告人に対する質問の方法によつてこれを明らかにすることが容易である場合において、被告人らがあえてこれを明らかにしようとしないときには、右の事実上の推定がそのまま維持され、あるいは一層強められることになつたとしても、それは、心証の働きとしてむしろ自然なことといえる。そして、このことは、いわゆる自由心証の分野に属する問題であつて、所論の如く挙証責任分配の原則に反するものでないことはもちろん、被告人らの供述を強要するものではないから憲法三八条、刑事訴訟法三一一条に触れるものでもない。

それゆえ、原判決には所論の如き、訴訟手続の法令違反はない。論旨は理由がない。

二次に論旨は、原判決は、本件放火につき「(罪となるべき事実)」第二の四において、「バリケードに多数の火炎びんを投げつけるなどして、これに放火し」と判示しているが、右の判示では、火炎びん以外のものも投げつけたというのか、火炎びんをバリーケード以外のものにも投げつけたというのか、あるいは、それ以外の方法で放火した可能性があるという趣旨なのか、あいまいであるから、理由不備の違法をおかしている、というのである。

しかしながら、原判決を通読し、ことにその一二枚目裏一三、四行目の記載に照らすと、原判決は、被告人らがバリケードに火炎びんを投げつけたと認められるほか、ガソリンその他を撤布した可能性もあるとの趣旨で、所論指摘のとおり「バリケードに多数の火炎びんを投げつけるなどして、これに放火し」と判示しものであることを容易に窺知することができる。しかして、本件の場合右の如き判示をしたからといつて、理由不備の違法があるとは、とうてい解することはできない。

それゆえ、原判決には所論の如き理由不備の違法はない。論旨は理由がない。

同第二点の二原判示第二の一の非現住建造物放火についての事実誤認、理由くいちがいの主張について。

一まず論旨は、原判決は、被告人らが松岡達郎と共謀のうえ、本館北側にある木造建物三棟の屋根めがけて火炎びんを投げつけて、同建物に放火した旨認定し、その根拠事実として、原判決九枚目裏一〇行目から一一枚目裏三行目までの間において11ないし3として種々の事実を認定しているが、右根拠事実のうち、(イ)本件屋上にいた被告人ら五名のうちの三名ぐらいが、午前六時三五分ころから午前七時すぎころまでの間数回にわたり次々と本件木造建物めがけて火炎びんを投てきしていたとの点、(ロ)当時他の二名ぐらいも、同じ本館屋上にいたことから考え、右三名ぐらいの者による右放火行為を認識していなかつたとは思われないとの点、(ハ)本件木造建物に対する火炎びんの投てき行為と相前後して、本館東側、南側、西側に木材を積み重ねるなどして構成されていたバリケードに対しても、本館屋上の被告人らや本館周辺の学生らによつて、火炎びんを投げたりガソリンを撤布するなどして次々と火をつけられていたが、右本館周辺の学生らは被告人らと意思を通じて行動していたと認められるとの点、(ニ)機動隊が本館に接近してから、被告人ら五名が協力して機動隊の本館進入を阻止するため激しい妨害行動をした事実に照らすと、本件木造建物に対する火炎びんの投てきが、被告人ら五名全員の共同の意思に基づく行為と推認されるとの点、(ホ)松岡が検事八代宏に対し、本件木造建物に火炎びんを投げたのは、本館裏側の防備が弱いからそこに火をつけるならば機動隊が来ないだろうということからであり、機動隊に対する抵抗の戦術については、本館死守隊の一人として本館に入つたのち被告人ら四人と確認し合つたと自白していたとの点は、いずれも事実誤認である。すなわち、(イ)の点についてみれば、本館屋上から本件木造建物に火炎びんが投てきされたのは、午前六時四〇分ごろから五、六分間のことで、その回数も合計五、六回であることが証拠上明らかであり、(ロ)の点は、当時他の二名ぐらいが屋上にいた証拠はなく、いわんや同人らが他の三名ぐらいの火炎びん投てき行為を現認していたという証拠はなく、(ハ)の点は、当時ほとんどの学生は機動隊の構内進入、封鎖解除に反対であつたから、それらの学生が本館周辺において火炎びんを投げたりして機動隊の構内進入を妨害する行為に出たからといつて、同人らが本館屋上の被告人らと意思を通じて行動していたと断定すべきではなく、(ニ)の点は、被告人ら五名が機動隊の本館進入を阻止すべく激しい妨害行為をしたからといつて、直ちに本件木造建物に対する放火が同人ら全員の共同の意思に基づくものと推認するのは、論理の飛躍であり、(ホ)の点は、松岡が真実本件木造建物に火炎びんを投げて放火する計画が事前にできていた旨供述したか疑問であり、ましてその事前計画を被告人らが知つていたという証拠はない。これを要するに、原判決は右(イ)ないし(ホ)のように根拠事実を誤認した結果、誤つて被告人ら五名が共謀のうえ本件放火をしたものと認定したものであつて、判決に影響をおよぼすべき事実誤認をおかしている、というのである。

よつて審案するのに、当裁判所は、原判決挙示の対応証拠を総合考察すると、原判決がその九枚目裏一〇行目以下に説示するところは、所論指摘のとおり疑問とすべき点もなくはないが、全体的にはこれを肯認するに足り、したがつて、原判決の罪となるべき事実の認定は、優にこれを肯認することができると判断する。すなわち、

1  所論の(イ)の点について。

しかし、証人安井浩治、同餅川勇の各原審公判廷における供述を総合すると、被告人ら五名のうちの約三名によつて本館屋上から本件木造建物に火炎びんが投げられたのは、午前六時四〇分ごろから午前七時一〇分ごろまでで(右証人餅川の証言によると、北大前電車道路の北九条と北一〇条の中間より若干北側の地点において状況を観察していた同人が、本件木造建物から火災が発生したのを見て、直ちに北一〇条交番まで走り、同所から幌北消防署に「北大本部裏木造建物火災発生、第一、第二出動願います」と電話で通報したのが、午前七時一二分ちよつと前であることが明らかである)、その回数も少なくとも、五、六回はあることが認められるから、原判決が所論指摘のとおり午前六時三五分ころから午前七時すぎころまでの間数回にわたり次々と火災びんを投てきした旨認定、説示したのは、多少正確を欠くとはいえるが、事実を誤認しているというべき程の相違ではない。

2  所論の(ロ)の点について。

しかし、前記証人安井の供述によると、約三名が本件木造建物に火炎びんを投げていたとき、本館屋上の正面中央から下を見ていた者が一名いたことが認められるし、まだ機動隊が本館内に進入せず、屋上から盛んに石や火炎びんが投てきされていた時期であるから、残りの一名位も、右屋上正面にいた者ともども、木造建物に火炎びんが投げられていている間終始、またはその間ほとんど、屋上にいたものと推認するのが相当であるし、そうすれば、右火炎びん投てきの回数や延時間を合わせ考えるとき、右二名ぐらいの者は、他の三名ぐらいの者による右投てき行為を当然認識していたものとみるのが当然である。

3  所論の(ハ)、(ニ)の各点について。

しかし、原判決が所論指摘のように被告人ら五名と本館周辺の学生との間、ならびに被告人ら五名間に意思連絡があつたと認定したことは、原判決説示の状況に照らすと正当として肯認することができる。

4  所論の(ホ)の点について。

たしかに、所論指摘のとおり、松岡が本件木造建物に火炎びんを投げて放火する計画が事前にできていた旨供述したか否かは疑問としなければならないが、原判決も、松岡がかかる計画が事前にできていた旨供述したと認定しているのではなく、松岡は、同人自身も本件木造建物に火炎びんを投げたこと、その目的は、本館の裏側の防備が弱いからそこに火をつけるならば機動隊が来ないだろうということでこれに放火したこと、機動隊に対する抵抗の戦術については、あらかじめ全共闘の代表者会議で何回も討論して決められたものであること、同人が本館死守隊の一人として本館に入つたのち、被告人ら四名と戦術を確認し合つたこと等を供述した旨判示しているにすぎないものであることは、原判決の説示自体に照らし明らかである。

それゆえ、原判決には所論の如き事実誤認はない。論旨は理由がない。

二次に論旨は、原判決は本件木造建物放火の時間につき、「(弁護人の主張について)」の個所では「午前六時三五分ころから午前七時すぎころまでの間」と説示しながら、「(罪となるべき事実)」の個所では、「午前六時三〇分ころから午前七時ころまでの間」と判示し、両者間に約五分間のずれを生じているのは、理由くいちがいの違法をおかしたものである、というのである。

たしかに、原判決中には所論指摘のとおりのくいちがいがあるが、かかる微々たるくいちがいは、いまだ刑事訴訟法三七八条四号にいわゆる理由にくいちがいがあるときに当らないと解するのが相当である。論旨は理由がない。

同第二点の三原判示第一の兇器準備集合についての事実誤認、理由不備の主張について。

一まず論旨は、原判決は、被告人らが警察官の生命、身体に対し共同して害を加える目的をもつて、投てき用の多量のレンガ、コンクリート塊、火炎びんが準備されていることを知つて、集合した旨認定しているが、右事実を認めるに足りる証拠はなく、原判決は事実を誤認している、というのである。

しかしながら、原判決挙示の対応証拠を総合すれば、所論指摘の原判決の認定は、優にこれを肯認することができる。すなわち、右証拠によれば、(1)封鎖解除後の本館建物の屋上、三階から屋上にあがる階段、三階の廊下等に、多数の火炎びん、敷石片、レンガ、薬品類があり、本館周辺の地上には被告人ら五名が投げたと認められる火炎びんの破片、敷石片等が多数散乱していたので、これらを合すると、犯行当時本館屋上等にぼう大な量の火炎びん、敷石片、レンガ等があつたものと認められ、(2)昭和四四年一〇月ごろに全共闘の全体会議により、警察力が学内に入つた場合には、教養部などは放棄し本館だけを死守することが決定されており、前記火炎びん等は、もつぱら機動隊による本館封鎖解除を阻止する目的で準備したものと認められ、(3)同年一一月四、五日ごろ北大教養部三階三〇七号室で全共闘の全体会議が開かれ、機動隊に対する闘争方針が協議され、野村某、原審相被告人杉戸、被告人工藤が出席していたが、席上右野村、杉戸からバリケードの強化構築などが指示され、これに基づき同月六日夜学生らの手により本館前にざんごうが堀られ、さらにそのころ野村の指示に基づき、教養部内で多数の火炎びんが作られことが認められ、これらの事実に、松岡供述中の、「一一月七日夕方本館死守隊として本館に入つたが、そのときは被告人らは既に来ていて、五人でそれまでに決まつていた戦術を確認し合つた。機動隊が進入してきたときは、火炎びんを投げたりして抵抗する計画であつた。同日夜は、一〇何人かいて火炎びんを運んだりしていたが、八日午前〇時ころには自分ら五人だけになつた。」旨の部分をあわせ考察すれば、被告人ら五名は、火炎びん等が多数準備されていることを知りながら集合し、かつ、機動隊が入つてきた場合にはこれを投げつけるなどして抵抗する共同加害の意思を有していたものと認定するのに十分である。それゆえ、原判決には所論の如き事実誤認はない。論旨は理由がない。

二次に論旨は、原判決は、レンガ、コンクリート塊、火炎びん等が兇器であることを判示していないし、兇器である根拠も示していない、本件火炎びんが如何なる成分、性能を有するかも明らかにしていないが、これらは理由不備であり、また、レンガ、コンクリート塊などは、一見して社会通念上危険な感じを起こさせるものではなく、それ自体人を殺傷する能力が特に高いとは認められないから、これらは兇器準備集合罪にいう兇器に該当しないと解すべきであり、原判決は法令の適用を誤つている、というのである。

しかしがながら、兇器準備集合罪を判示するに当つては、同罪にいうところの兇器に該当する具体的器物の名称を挙示すれば足り、その器物が兇器に該当することまで判示する必要はないと解されるし、火炎びんが一般に、空びんにガソリン等を入れ、紙または布で栓をしてこれに火をつけ、または独自の発火装置を施してこれを投てきすると、びんが破れ、中のガソリン等が燃え上る装置のものであることは、今日では既に公知の事実に属しているのであるから、その構造、性能等を、いちいち判示することを要するものとは考えられない。しかして、レンガ、コンクリート塊などは、本来は人を殺傷するためのものではないが、用法によそつては人の生命、身体または財産に害を加えるに足りる器物であり、かつ、二人以上の者が他人の生命、身体または財産に害を加える目的をもつてこれを準備し集合するにおいては、社会通念上人をして危険感を抱かせるに足りるものであるから、本罪にいう兇器に該当すると解すべきである(最高裁判所昭和四五年一二月三日判決、刑集二四巻一三号一七〇七頁参照)。それゆえ、原判決には所論の如き理由不備、法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。

同第三点法令適用の誤りの主張について。

一まず論旨は、原判決は、いわゆる共謀共同正犯理論に基づき被告人ら全員の有罪を認定したが、右理論は、共同正犯を規定した刑法六〇条の明文の規定に反し、また、刑法を被告人に不利益に拡張解釈する点において憲法三一条に違反する、仮にそうでないとしても、右理論を適用するに当つては、事前共謀か現場共謀かの別を明らかにし、実行行為者を特定することを必要とするから、これを判示していない原判決には法令の適用を誤つた違法がある、と主張する。

しかしながら、いわゆる共謀共同正犯の理論が憲法三一条に違反するものでないことは、最高裁判所昭和三三年五月二八日大法廷判決(刑集一二巻八号一七一八頁)の判示するとおりであり、また、共謀の判示が、謀議の行なわれた日時、場所またはその内容の詳細、すなわち実行の方法、各人の行為の分担役割等についてまで、いちいちいち具体的に判示することを要するものでないことも、右判決の判示するとおりであるから、原判決には所論の如き法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。

二つぎに論旨は、現住建造物放火罪が重く罰せられるのは、人命に危険がおよぶおそれがあるからであるところ、本件本館建物一階には機動隊員がいたが、同人らは完全武装した訓練された強健な男子で、火炎びんが飛んでくるかもしれないことを予期し消火の用意をしたうえ、建物が鉄筋コンクリート造で、しかも出火場所が三階であつて、同人らに危険があるとは考えられないから、同人らは刑法一〇八条にいう「人」に該当しない、また、本件の如き鉄筋コンクリート造の堅固な建物の場合には、「焼燬」というためには、いわゆる独立燃焼では足りず、その重要部分が燃え始めるか、または火力によつて重要部分が焼失し建物本来の効用を失う程度に達することが必要であると解すべきであるから、これと異なる原判決には、法令の適用を誤つた違法がある、と主張する。

しかしながら、刑法一〇八条にいわゆる「人」とは、犯人以外の者を指すものであつて、機動隊員が所論の如く訓練された強健な男子で、火炎びんが飛んでくるかも知れないことを承知で、消火の用意もして建物内に入つてきたものであり、建物が鉄筋コンクリート造で、出火場所が三階であるからといつて、右機動隊員が同法条にいわゆる「人」に該当しないとは、とうてい解し難い。また、同法条にいう「焼燬」とは、目的物が独立に燃焼を継続する状態に達したことをいい、鉄筋コンクリート造の堅固な建物であるからといつて、その重要な部分が燃え始めるとか、建物として効用を失う程度に達することを要するものと解すべきものではない。けだし、右の如く堅固な建物であつても、導火材料を離れ独立に燃焼を継続する状態に達した場合には、それだけで公共の危険が既に発生したものというに足りるからである。それゆえ、原判決には所論の如き法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。

三さらに論旨は、兇器準備集合罪は、暴力団の集団的けんか殴り込みを規制予防することを主な目的として立法され、ついで労働運動、学生運動等の反体制的、政治的運動を取締り、弾圧するものとして運用されてきたから、この意味において憲法一四条に違反し、また、同罪にいう「兇器」の意味が一義的に明確でないから憲法三一条に違反する、かりにそうでないとしても、同罪は殺人罪、傷害罪の予備罪的性格を持つから、本件の如く兇器準備集合ののちに公務執行妨害が行われた場合には、兇器準備集合罪は公務執行妨害罪に吸収されてしまうか、少なくとも牽連犯の関係になるものであるから、これを併合罪と解した原判決には、法令の適用を誤つた違法がある、と主張する。

よつて審案するのに、まず兇器準備集合罪が暴力団等による集団的暴力事犯の取締りを直接の動機として制定されたものであることは、所論のとおりであり、また、同罪が近年本件の如き学生らによる集団的暴力事犯に適用される事例が相当数にのぼつていることは、当裁判所に顕著であるが、同罪は、その制定の直接の動機が右の如きものであつたとはいえ、なんら犯罪主体につき限定を加えているわけではなく、なにびとであれ、他人の生命、身体または財産に対して危害を加える目的で兇器を準備して集合することを規制することができるし、現にそのように運用されていることは当裁判所に明らかで、所論のように反体制的、政治的運動の取締りや弾圧に利用されているとは、とうてい認め難く、同罪が憲法一四条に違反すると解することはできない。つぎに同罪にいわゆる「兇器」には、銃砲刀剣類の如き本来の兇器のほか、用法によつては兇器としての効用を有するいわゆる用法上の兇器も含まれると解されるが、もとより無制限なものではなく、「用法によつては人の生命、身体または財産に害を加えるに足りる器物であり、かつ、二人以上の者が他人の生命、身体または財産に害を加える目的をもつてこれを準備して集合するにおいては、社会通念上人をして危険感を抱かせるに足りるもの」をいうというべきであるから、その概念が一義的明確性を欠くということはできず、同罪が憲法三一条に違反するとは解し難い(この点につき前掲最高裁判所昭和四五年一二月三日判決参照)。しかして、兇器準備集合罪は他人の生命、身体または財産に対し共同して害を加えることを目的とする犯罪であるから、同罪が所論のとおり加害行為に対する予備的性格を有していることは否みえないが、他面同罪は公共的な社会生活の平穏をも保護法益とするものであるうえ、公務執行妨害罪の犯人となるべき者をその妨害行為に使用する兇器を準備した段階で処罰することのみを目的とするものではないから、たとえ兇器準備集合罪の犯人がその加害目的とする警察官らに対する攻撃を開始し、その公務の執行を妨害して公務執行妨害罪が成立することとなつたとしても、兇器準備集合罪が公務執行妨害罪に吸収さるべきいわれはなく、しかも、両罪の間には通常の手段、結果の関係がなく、両者は併合罪の関係に立つものと解するのが相当である(最高裁判所昭和四三年七月一六日決定・刑集二二巻七号八三〇頁、東京高等裁判所昭和四五年八月六日判決・判例タイムズ二五五号二四三頁参照)。これと見解を異にする大阪高等裁判所昭和四七年一月二四日判決(判例時報六六七号一〇三頁)等の見解は、当裁判所の賛成できないところである。それゆえ、これと結論を同じくする原判決には所論の如き法令適用の誤りはない。

論旨は理由がない。

同第四点量刑不当の主張について。

論旨は、原裁判所は被告人らを勾留の必要性がなかつたのにかかわらず長期間勾留し、被告人らに対し重大な精神的、身体的障害を被らせたが、これは実質的にみれば被告人らを処罰したのと同然であるから、かかる被告人に対しそれぞれ懲役三年に処した原判決の量刑は不当に重いといわざるをえない、というのである。

よつて案ずるのに、一件記録を検討しても、被告人らに対する勾留が、所論の如くそれ自体不当であつたとか、期間が不当に長期にわたつたとは、とうてい認め難いところである。しかして当裁判所は、原判決が「(量刑の事情)」において詳細に説示しているところは、ほぼ全面的に正当として肯定するが、右説示のうち、原判決が北大当局ないし教官側の対応策にかなりの問題があつたかの如くいう点については、当裁判所はいささか見解を異にする。たしかに、当時の北大に、大学当局と一般教官間、一般教官相互間、各部局間等の意見の不統一や協力の欠如があつたとみられることは、原判決も指摘するとおりであるが、かかることは大学一般につていて見られるところで、当時の北大にのみ特有な現象ではない。また、北大当局が過激派学生との話し合いに応じなかつたことも、四月一〇日クラス反戦連合の学生らが入学式会場の体育館を占拠した際、堀内学長がみずから体育館に出向き、さらに外部から電話をもつて内部の占拠学生らと話し合おうとしたのに、学生らがこれを峻拒したこと、その後、クラス反戦連合、中核系、あるいは革マル系の学生らが、しばしば評議員会、教官会議等の会場に乱入し、学長、学長代理、教養部長らを他所に連行し、長時間軟禁状態にして団交を強要し、ついに学長らを過労のため倒れる状況に追い込み、さらには学生間の対立がますます尖鋭化するという状態になつたのであるから、かかる場合に大学当局が、冷静な話合いになら応ずるが、それも全学生の総意を代表する者とでなければ、あるいは全学討論集会の形式でなければ、これに応じ難い、との態度をとつたとしても無理からぬところであり、過激派学生との話合いに応じなかつた当局の態度を、一概に不当とすることはできないと考える。そして、右のとおり修正を加えた原判決の「(量刑の事情)」説示のごとき本件各犯行の動機、罪質、規模、態様、結果および社会的影響等によれば、本件につき実質上共犯者とみられるべき者が多数、司直の手を免れなんらの処罰も受けずにいるであろうこと、被告人らがいずれも将来のある青年で、これまでなんらの前科がないこと、その他被告人らのため酌むべき有利な情状一切を十分斟酌しても、被告人らに対する原判決の各量刑はまことにやむをえないものであつて、これが重きに失して不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

よつて刑事訴訟法三九六条により本件各控訴を棄却し、当審における未決勾留日数中被告人武者、同工藤については各三〇日を被告人岡崎については三五日を、刑法二一条によりそれぞれ原判決の本刑に算入し、当審における訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項ただし書により被告人らに負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(中西孝 神田鉱三 宮嶋英世)

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